「真面目」「責任感が強い」。そう言われることが多かったです。就職活動の自己分析でも、長所としてよくそう書いていました。
でも、それが強すぎると、しんどくなることがあります。任されたら最後までやり切る。それはいいのですが、気づけばやり過ぎてしまう。今日は、そんな私の「責任感」が、どこから来ていたのかを辿ってみたいと思います。
商品のリリース直後に、帯状疱疹
会社員時代、ある商品のリニューアルを任されました。プロジェクトを組みましたが、メンバーは全員兼任だったので、全体設計も進捗管理も、実質ひとりでこなしていました。土日出勤、深夜残業。ある日、耳元でピーっという高い音が鳴っていることに気づき、病院に行くと突発性難聴の診断。数日で治りましたが、リリースまであと2か月というタイミングで、仕事のペースは崩さず働き続けました。
夜中、駅までの帰り道、胸がチクチクするのを感じながら「明日、会社に行けるかな」と思ったこともありました。それでも、すでに大きな受注が入っていたので、納期は絶対に守らなければならない。そう思っていました。
無事にリリースを終えた翌々日、身体に赤い湿疹が出ているのに気づきました。帯状疱疹でした。
「病気になるまで働けと言った覚えはない」
出社すると、直属の上司が「ちゃんとリリースさせたあとに倒れたから、佐藤さんはサムライだ」と話していたと聞きました。ひどい褒め方だなと思いつつ、無事に終えられたことにホッとしている自分もいました。
後日の面談で、担当部長にぽろっとこう言われました。
「病気になるまで働けと言った覚えはないんだよなあ。」
私に向けた言葉ではありませんでしたが、思わずドキッとしました。土日出勤も深夜残業も、誰に強要されたわけでもありません。もっとやり方はあったはずです。でも当時の私には、それ以外の選択肢が見えていませんでした。「それが当たり前」だと、思い込んでいたのです。
どこから来た責任感なのか
こういう「過剰な責任感」は、いったいどこから来たんだろう。ずっと不思議でした。
一つには、働き者の両親を見て育ったから、というのがあると思います。父は本家の7人兄弟の長男。祖父に厳しく鍛えられ、家に仕事を持ち帰っては夜遅くまでやっている人でした(似たもの親子だなと、自分でも笑ってしまいます)。
母もまた、いつも忙しい人でした。親戚が大勢集まるお盆や正月には、母はずっと台所に立っていて、最後の最後にテーブルの端でささっと食事をとる。そんな姿をよく覚えています。
本家の長男夫婦のもとで育った末っ子長女の私にとって、「忙しく働いていること」は、いわば当たり前の景色でした。
でも、それだけだったのだろうか
ここまでなら、「働き者の家系に育ったから」という話で終わるかもしれません。でも、思い出したことがあります。
祖父母と同居していたわが家には、多くの家庭にあるようなちょっとした緊張関係がありました。祖父は昔ながらの、気性のはっきりした人。母は、そんな祖父との暮らしの中で、ときどき台所で涙を見せることがありました。
「あなたたちがいるから、私はこの家に居るのよ。」
子どもだった私に、母が何度かそう言っていたのを覚えています。当時は「大人なのに、どうしてそんなことを子どもに言うんだろう」と、少し反発を覚える自分もいました。私たちがいなければ、母は出て行きたいんだ。でも、母には出て行ってほしくない。二つの思いが交差して、黙って聞いているしかありませんでした。
そして私は、子どもながらに決めたのです。「母は可哀そう。だから、母を守らなければならない」。
寂しそうにしている母を見つけると、明るく話しかけに行くようにしました。祖父にも、思ったことははっきり伝えました。おかげで祖父からは「ワシに意見するのは一美ぐらいだ」なんて、半ば呆れ半ば頼もしそうに言っていたと、あとで父から聞きました。母を元気づけ、祖父とは対等の立場に立とうと背伸びしていたんですね。
「可哀そうな母」は、本当だったのか
でも、今振り返って思うのです。母は、本当に「可哀そうな人」だったのだろうか、と。
祖父が晩年寝たきりになったとき、母は自分から「私が看るわ」と言い、自宅で介護をして看取りました。あるとき母がふと話してくれたのですが、旅行に出かける母のためにお風呂を焚いてくれた祖父の姿に、それまでのわだかまりが、す〜っと抜けていったのだそうです。
退職後の母は、社交ダンスやコーラスに通い、口からジルバなんて言葉が出てくるくらい、楽しそうに暮らしていました。それを見たとき、あれっと思ったんです。母は可哀そうな人で、自分のことをあとまわしにして、ひたすら家族のために尽くす人じゃなかったんだっけ?
「母は可哀そうな人」。それは、ある一時期の、ある一面だけを切り取った、私自身の思い込みだったのかもしれません。
「責任感」の出発点
改めて整理してみると、こんな流れが見えてきます。
「母は可哀そう」という思い込みから、「母を守らなければならない」という信念が生まれ、それがやがて「家族のことは私がなんとかしなければならない」という強い責任感が育てられていった。そんな気がしています。
そういえば、母から「女の子が欲しくて、(女の子を生みやすくするために)お刺身を一人でこそっと食べていた」と聞いたことがあります。私は、望まれて生まれてきたのだと知りました。だからこそ「母のために、家族のために、私がなんとかしなければ」という思いが、私の中で自然と育っていったのかもしれません。
そして会社員時代も、同じパターンを繰り返していました。「私が倒れたら、この商品はリリースされない」。そう思い込み、いつのまにか自分でそういう状況を作り出してしまっていたのかもしれません。
こうして辿ってみると、「責任感」というのは、生まれつきの性格というより、ある出来事をきっかけに、自分の中で少しずつ育っていったものなのかもしれません。
もしあなたにも、「これは自分の性格だから」と思い込んでいることがあれば。その根っこをたどっていくと、案外、小さな頃のある一場面に行き着くことがあるかもしれませんね。


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