「目で見るんじゃない。手の感触で確かめるんです」
「大地の再生」という、土や水の流れを整えることで庭や環境を回復させていく取り組みの講座に参加していたときのこと。
土に穴を掘り、溝をつくり、そこに枝を敷いていく作業をしていました。
頭では説明をしっかり聞いて、理解したつもりでした。
でも、実際にやってみると、できない。
枝の並べ方ひとつとっても、私は「どこに差すか」ばかりを考えていました。
見かねた講師の方が、こう教えてくださいました。
差す場所ではなく、「どこに置きたいか」を考える。
枝を手に持ち、枝の気持ちになって、愛でながら置く。
なるほど、と思いました。
私は枝を、ただの「モノ」として扱っていたのです。
次は、砕いた瓦を敷く作業。
大きいもの、中くらいのもの、細かいもの。
水が流れてきたときに、きゅっと締まるように置いていきます。
講師の方が、事もなげに言われました。
「手触りで大中小は分かります。
手の感覚はすごいものがあります。
むしろ目を瞑ったほうがいいぐらい」
その華麗な手さばきを見て、よし、と気合を入れ直したのに、
やってみると、縦に置いて注意され、横に置いてまた注意される。
悲しくなるくらい、できませんでした。
そこで言われた通り、思い切って目を瞑り、手の感触だけで置いてみると――
そのほうが、ずっと納まりがいい。
頭で理解したことが、手先でうまく表現できない。
目を瞑って手触りで進めたほうが、しっくりくる。
これは、いったい何だろう。
たぶん、からだの本来の使い方が、少しずれてきているんじゃないか。
そう思いました。
言うなれば、頭で、思考でからだを動かしていた。
本来のからだは、もっと直感的に物事をつかみ、その直感のままに手足を動かせるもの。
その機能が、日々の暮らしのなかで少しずつ、さびついていたのかもしれません。
だから子どもは、こういうことが自然にできるのでしょう。
頭で分かったつもりのことと、からだが分かっていることは、別のもの。
そして、からだの感覚には、頭の理解を軽く超えてくる力がある。
たまには頭で考えることをいったん脇に置いて、からだの感覚に委ねてみる。
そんな時間も、頭がいっぱいになったときの、ひとつの糸口になるのかもしれません。

水がいっぱいに張ったコップをこぼさずに移動できるように、私たちのからだはとても精妙にできています。
からだに意識を向けてみると、また違った感覚が生まれてくるのではないでしょうか。
自分の心とからだと向き合う、無料のメルマガ講座をやっています。興味のある方は、下のフォームからメルマガをご登録ください。メールアドレスだけでも登録できます。


