子どもの頃、私はちょっとだけ変わっていたと思います。同級生に、「あの頃、雲の上を歩いていたよね」と言われました。みんなから浮いていて、何を考えているか分からない存在だったのだと思います。よく言えば、まわりを気にせずわが道を行っていた、ということかな。
そんな子どもの頃の夏休みの過ごし方は、毎年いつも同じでした。
朝は6時過ぎに目覚まし時計をかけて一人で起き、枕元に置いた服に着替えて町内のラジオ体操の場所に走る。あの頃のラジオ体操は、ほぼ毎日でした。ラジオ体操後は、小さい子も一緒にみんなでひとしきり遊びました。この子どもしかいない中での異年齢の遊び、どうやったら大きい子も小さい子も楽しめるかな? 今から思えば、社会の縮図ですね。
そして、夏と言えばプール。夏休みは一定回数以上、プールに通わなければなりませんでした。ところが私は泳ぎが大の苦手。水が怖くて息継ぎができなかったのです。息は苦しいし、みんなには笑われるし、散々でした。しかし、このプールを除けば、自分で自由に過ごせる、好きなことができる季節でした。
私は読書感想文と一人一研究が大好きな子どもでした。そのため、7月中に『夏休みの友』という宿題ノートや細かいものをすべて済ませました。そして残りの8月は、ゆっくり読書感想文と一人一研究を楽しみます。
読書感想文は何度か読み、しばらく熟成させました。インスピレーションが降りてくるのを待って、おおこれだ!と思うとワクワクして、やおら構成を練る。そういえば、大学のレポートなども同じやり方でした。何か降りてくるということを、信頼していたような気がします。文章にするのには時間がかかりましたけどね😅
それに比べると、一人一研究はちょっとムズかった。理科の教科書などを参考に問いを探します。自分なりに納得する問いを見つけるのはなかなか難しかったですね。海水で育つ藻は真水で育つのかな?日光が遮られた状態で花は咲くのかな?砂糖や塩が入った氷は固まるのが遅くなるのかな?他愛もないものですが、問いが生まれると、どうなるんだろうと結果が知りたくなります。毎日、実験の様子をチェックして、あれこれ考えるのがおもしろかったです。
両者に共通するものはあるのかな?
思いついたこと、アイディアを形にするのが好きだったと思います。 めんどくさいことはあったけど、それだけでワクワクしました。
他に夏休みにやっていたことはあるかな?
そうそう、お盆の前後、毎年、東京から従妹たちが遊びに来ました。毎日、外に出てからだを動かして遊んでいました。毎日、近くの料亭の生け簀に入った鰻の様子を確認しに行ったり、丘の上にある公園まで散歩しに行ったり、時には米ぬかを入れ、穴の開いたタオルで覆った洗面器を川に入れ、小魚を取ったりしました。当時のまぶしい太陽が瞼に浮かびます。今でも、真っ黒に日焼けした写真が残っています。
太陽の下でからだを動かすこと、今でも好きです。 涼しい風を頬に感じるのは至福の時です。
時節柄、子どもの頃の夏休みの過ごし方を振り返りましたが、こういう自由な時間で何をやっていたかを思い出してみると、自分の好きなこと、やりたいことのヒントに気づくかもしれません。
私も書いているうちに、大好きだった図鑑があったことを思い出しました。家に、地球の成り立ちを示した図鑑があってそれを見るとワクワクしました。そのワクワクを共有しようと、重たい図鑑を持って、近所の友達のところに遊びに行ったものでした。彗星が衝突して、地表が水で覆われて、火山が噴火して、内容はあんまり覚えていませんが、その図鑑を抱えたときの、そのページをめくるときのワクワク感は忘れていません。
ああ、このワクワクした心やからだの感覚が手がかりになるのかも。 あなたは子どもの頃、何に心がワクワクしていましたか?


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