もっと私を見て―母を見送った日に蘇った、幼い日の欲求

2024年1月、母は満89歳でこの世を旅立ちました。
90歳まであと16日、というところでした。

そのときに体験し、気づいたことを書き残しておこうと思います。

目次

母は兄と見つめ合って、息をひきとった

亡くなる前年の節分の日、家で意識を失った母は救急車で入院。
その後意識は戻ったものの、施設に入ることとなりました。

そして、ひと月も立たないうちに脳梗塞を発症。
カテーテル手術で一命をとりとめましたが、
徐々に体力も衰え、点滴のみの状態となりました。

最期のとき、意識はあり、駆け付けた兄をわずかに目を開けて見つめていました。

兄は、最初こそ「お母さん、気を強く持って!」と励ましていましたが、
そのうち穏やかな表情になって、静かに語り掛けていました。

「僕は、お母さんの、息子だよ」と。

親子の愛情があふれていて、本当に美しい世界で、思わず写真を撮りました。
亡くなる2時間前の写真でした。

父の代わりに、兄が喪主を務める

その間、父はどうしていたのか。

実は、母が亡くなる三日前の夜、台所で転倒。
早朝に救急車を呼び、病院で大腿骨頸部骨折の診断を受けました。

四日後に手術が決定。
動けないので、母を看取ることも、葬儀への参列も叶いませんでした。

毎日のように母に会いに行っていた人なのに。
最後の最後に会えないなんて、ドラマのような展開でした。

父は、母が二度目の入院をした頃から、家で葬儀を行う段取りをつけていました。
母と共働きで、一緒に建てた家から送り出したかったからです。

入院していては動きの取りようがないので、
兄が葬儀の段取りを引継ぎ、喪主を務めることになりました。

ここまではよかったのですが、すんなりとは事は運びませんでした。

私の心に、トラブル発生

葬儀を終え、火葬場に移動した日のことです。

火葬場で、兄が四十九日の日程をみなさんに告げていました。

えっ、私、相談されていない。
その日は東京のセミナーに行っているかも!
(あとになって、兄は事前にカレンダーで確認していたことが分かりました)

その場では言葉にできないまま、兄へのイライラが募り、とげとげしくなります。
火葬場からの帰り道、車の中でも、そのモヤモヤは消えませんでした。

こんな気持ちになり、お母さんをちゃんと送り出せない。

お母さん、ちょっと整理するからね、待っててね、ごめんね。
心の中で語り掛けました。

なんでこうなるのか、自分でも理解ができませんでした。
何かが一気に噴き出した感じでした。

兄への嫉妬

思い当たったのは、兄への嫉妬でした。

臨終の際の母と兄は、それはそれは美しい、麗しい光景でした。
しかし、私と母はそのようにお互いに見つめ合うことはありませんでした。

毎日、面会に行ったのに。
毎日、歌を歌ったり、足を触って温めたりしたのに。

兄は母にとって特別な存在。
どこかそんな感覚がありました。

看護師長さんにも、私はさも分かったように、
「母親にとって息子は特別ですよね。娘は母にとって分身ですよね」
と言っていました。

何度も思い出す、幼い頃の場面があります。

母は自分の手がふさがっているとき、私に兄のご飯をよそうように言いました。
「自分ですればいい」と言ったら、私はぶたれました。
(ぶたれたのは、後にも先にもこれ一回でしたが)

理不尽だと思いました。
お母さんはお兄ちゃんの方が大切なんだと思いました。

独りぼっち。
寂しかった。
母は兄の方が可愛いんだ。
母は私よりも兄を愛していたんだ。

まさか、大事な母の葬儀の日に、そんな幼い頃の嫉妬の感情を思い出すなんて。
正直、慌てました。

こうした感情を抱いた場面は、この日だけではなかった気がします。

そもそも、母と兄との関係に私の存在を入れる必要はありません。
母と兄の関係、母と私の関係でしかありません。
頭ではそう分かっていたのですが。

本当に、母は兄の方が可愛かったのか

その夜、一人、静かに自分と向き合いました。

母は女の子がほしくて、身体を酸性にすると女の子ができると聞いて、
近くのお魚屋さんで一人前のお刺身を買い、家族に分からないようにこそっと食べていたそうです。

兄の7年後に生まれたのが私。

二人で出かけると、手を握ってくれました。
冷たいねと言ってあたためてくれました。

お揃いのワンピースを作ってもらって一緒に出かけました。

お菓子もたくさん作りました。
何色ものセロファンで包んだキャラメルはとてもきれいだった。

母は手先が器用で、赤の毛糸でベストを編んでくれたのですが、
幼稚園児の私には大きすぎて、ジャンパースカートに変わりました。

私が生理痛で苦しんでいると、そのように生んでしまった自分を責めていました。

腰椎を骨折したとき、初めて一人で飛行機に乗り、身の回りの世話に上京してくれました。

前年の私の誕生日、いつものように
「生んでくれて、育ててくれてありがとう」と話しかけたら、
ベッドの上で、無言で泣いていました。

こうして辿ってみると、「母は兄の方が可愛い」という思い込みだけでは、
説明のつかない記憶が、いくつも出てきます。

それでも、あの日、感情はあふれた

温かい記憶があったのに、それでも、あの日、嫉妬が込み上げてきた。
矛盾しているようで、これが正直な気持ちでした。

込み上げてきたのは、兄への嫉妬だけではありませんでした。
四十九日の日程を、何の相談もなく決められていたこと。それにもカチンときました。

「家族のことは私がなんとかしなければならない」。

別のブログでも書きましたが、私には過剰とも言える責任感がありました。
今振り返ると、母が兄に向けていた目を、もっと自分にも向けてほしかったからだったのかもしれません。

役に立つ子でいれば、いい子でいれば、母はもっと私を見てくれる。

そう信じて、いつのまにか「私が守る役」を、自分から引き受けていたのだと思います。

その役を、あの日、兄が担っていた。
役割を奪われたような感覚と、幼い頃からの「もっと私を見てほしい」という欲求。
この2つが、同時に込み上げてきたのだと思います。

幼い日の思い込みは、今も残っていた

「もっと自分を見てほしい、愛してほしい」という欲求と、
「だから私が家族を守らなければ」という責任感。

この2つは、別々のものではなく、根っこは同じだったのかもしれません。

何十年も経った母の見送りの日に、その古い欲求が、ふいに顔を出しました。

もし、あなたにも、家族との間で込み上げてくる感情があったら。
一人になって、静かに見つめ直す時間を持つとよいと思います。

その感情の奥に、案外、いくつもの思い込みが重なって眠っているかもしれません。

「一人になって、静かに見つめ直す時間」、大事ですよね。
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