北海道の絶滅種鎮魂祭に参加して3年目。この年、アト゜イからアイヌ詩曲舞踊団モシリと同じ舞台に立ち、鎮魂詩曲舞(レクイエム)の冒頭の語りをするようお役目を授かりました。
前年に、思いがけず『なめとこ山の熊』を奉納朗読したことで、次の新たな体験が舞い込んだというわけです。
今回、レクイエムの冒頭の語りはまるでドラマのようでした。 私の備忘録として書き残しておこうと思います。


アイヌの精神性を理解していない者に、語りは任せられない
実は、前年の絶滅種鎮魂祭が終わったあと、モシリリーダーの房恵さんから、こう言ってもらいました。
「語りをやったらいいじゃない。イメージが浮かぶのよね。」
しかし、それを聞いたアト゜イはかぶりを振って答えました。
「アイヌの精神性を理解していない者に語りは任せられない。 アイヌと一緒に生活を共にしないとわからないことだ。
島根から移住して来いとは言えない。 行ったり来たりするのもお金がかかる。 本人を迷わせるようなことは言ってはならない。」
そして、「今の話は忘れてくれ」と。
寝食を共にしてこそ身につく、その通りだと思いました。期待されるのは嬉しいけれど、島根に年老いた両親もいるし、そこまでの覚悟はありません。
しかし、それがなぜか一転して、語りを任せてもらえることに。 アト゜イにどのような心境の変化があったのかはわかりません。
ともかく、5月に原稿をもらい、9月の本番に備えて毎日練習をしました。
モシリメンバーの前で、語る
設営のお手伝いで入った本番二日前、夕食後にモシリのメンバーが招集されました。語りの間だけですが、モシリの一員となるのです。
緊張感が高まりました。
アト゜イは、皆に「絶対に感想を言うな」と言い、私に語りを促しました。これはアト゜イのやさしさです。
1回目、アト゜イに「声が小さい、もっと張れ」と言われました。
2回目、自分では目いっぱい張って語ったつもりでしたが、音響担当の和恵さんに「(張れたのは)少しだけだね」と言われました。本番で音量を最大限に上げてもらうことに。
なんと言っても、私は素人です。朗読をやっていたのは20年前。しかもアマチュア。
それでも、私に語りを勧めてくれた、ボーカル担当の房恵さんからは、 「声帯は細いけど、口ではなく喉から出ているから、安心して聞いていられるんだ~」 と言ってもらい、少しほっとしました。
最大の難関は、冒頭の「エチ・イランカラプテー」
私は最初のアイヌ語、「エチ・イランカラプテー」をどう発音していいのか、よくわかりませんでした。
教えてほしいと話すと、まず「関西なまりがあるよね」と言われました。なるほど、最初のエチと最後のプテーのイントネーションが逆になっていた。こういうところに自分の出身地を感じさせられます。
本番を明後日に控え、果たして、アイヌ語の挨拶が上手くできるのか?なにせ冒頭です。ここを失敗したら、あとが続かなくなります。
何度もイントネーションを確認する私に、
「(声が)暗いのよね~」と言われて、ガーン😫
それでも、アト゜イや皆さんからは、たくさんアドバイスをいただきました。
「舞台にはシンセサイザーを始め他の音がたくさんある。 自分一人でやるものではない。まわりとの調和が大事だ。」
「舞台は魔物。自分を保たなければならない。 何か気になったら、もうもっていかれる。」
「人間に聞かせるんじゃない。絶滅種に、カムイに聞かせるんだ。」
「間違えても絶滅種は許してくれる。」
「エチ・イランカラプテー」の日本語の意味も教えてもらいました。エチはみなさま、イはそれ、ランは心、カラは触れる、プテーは~してください。つまり、「皆様方の心にそっと触れさせてください」という意味。
その気持ちで語ればいいと言ってもらいました。
その日の夜は、よく眠れませんでした。
リハーサルは、本番当日の2時間前
眠れない夜を過ごした翌日は、朝から会場設営のお手伝いです。札幌や近郊の都市を始め、全国各地から鎮魂祭の手伝いに続々とやってきます。会場はすべてアト゜イの設計で、モシリメンバー始め、みんなで作り上げています。
夕方からリハーサルの予定でいましたが、準備が押しに押し、そして流れました。
マジか~😭
そもそも、どこに立ってどう振舞えばいいのかが分かりません。リハーサルは、本番当日の数時間前となりました。しかも出だしのみ。
アト゜イから、「このリハは、今回初めて入る踊り手と、語りのデビューのためにやる!」と檄が飛びます。
教えられたタイミングで、「エチ・イランカラプテー」と語り始めると、しばらくしてストップがかかりました。
「最初が人間の声になって、そこだけ浮いている!」
はあ~人間の声?そして、やっぱりアイヌ語ができない~😭
リハが終わって傍に呼ばれました。
「非連続の連続なんだ、わかるか。」
「絶滅種に申し訳ないことをした、その申し訳ない気持ちを表現するんだ。」
「自分の魂に語り掛けるんだ。自分の魂を喜ばせろ!」
自分のできなさ加減に、思わず涙ぐみます。するとアト゜イは、「お前は大丈夫だ」と頭をポンポンとやさしく叩いてくれました。
それから、本番まで一人ぶつぶつ練習しました。
「エチ・イランカラプテー」
喉を閉めないよう、言葉の意味を柔らかく音に乗せようとしました。また、自分に集中するため、他の演奏者の大音量のなかでわざと練習もしました。
しかし、意識すればするほど、言葉が浮かんで来なかったり、途中から始めようとすると分からなくなったりして、だんだん焦りが募ってきます。
用意してもらった衣装を身につけ、化粧やマタンプシをつけてもらうと、頭がくら~としました。
徐々に慣れてくると、今度はアドレナリンが全開。目が開き、気が上がってくるのを感じました。
自分を落ち着かせるため、いつものIAMのライオンあくびをします。自分のハートを意識して、心の中のエネルギーをクリアリングしていきます。少しずつ頭が静かになっていきました。
下手に練習すると焦るからと練習をやめたものの、それでもだんだん順番が迫ってくると、緊張が募ります。途中で頭が真っ白になったらどうしよう、言葉が出てこなかったらどうしよう。またしても、そんな不安が押し寄せてきます。
そんなとき、アト゜イの指示で、急遽、出番が早まりました。階段を足早に駆け下り、舞台に向かいます。
本番で、言い間違う
舞台袖で緊張している私に、語りの先輩、節子さんから励ましの言葉をかけてもらいました。リーダーの房恵さんからは、「私が横にいるんだから、大丈夫!!」
ふと舞台の上をちょぼちょぼ歩くカラスが目に入り、何気なく見ているうちに、 「ハートから次の言葉が出てくる。ハートを信じよう」と思えました。
なんとなく大丈夫な気になりました。
曲が始まる前、板付けといって舞台後方の立ち位置につきました。最初のシンセサイザーの音を聞き、出だしを計っていましたが、一呼吸、遅れて入ってしまいました。
「エチ・イランカラプテー」
うまくいったかどうかはわかりません。 ただ、その先を続けるしかありません。
5行目あたりを語ったとき、違和感を覚えました。
「あれ、今、ろれつがまわらなかったか、言葉を間違えた?」
このまま進もうか、言い直そうか。 一瞬ちらりと考え、次の吸う息に合わせて、私は言い直しました。
その後、頭が真っ白になることはなく、最後まで語り終えました。
そしてそのまま舞台からはけて袖に戻ると、腰がドーンと重くなりました。 むちゃくちゃだるい。
随分と緊張していたことが分かりました。自分の役割は終わったから外に出て舞台を見ようと思いましたが、なんとなくこの場にいたほうがよいと感じて、舞台を見守りました。
「いい体験をしたね」
鎮魂詩曲舞(レクイエム)が終わり、次は100人規模での会食です。
お手伝いのため、楽屋でモシリメンバーと着替えをしました。モシリメンバーは調理担当でもあるのです。
皆さんに、「間違えました。すみません」と謝ると、語りを担当されている節子さんから、 「(優先を)先行と言って、言い直したね」とニヤっと笑われました。
しっかり聞かれていました。
音響担当の和恵さんからは、 「緊張していたね。 集中しているようだったから大丈夫かなって思ってたけど。 出だしが遅れて、真っ白にならないといいなあって。」
かなり心配をさせてしまっていました。
しかし、モシリの皆さんは口々に「いい体験をしたね」と言ってくださいました。一般の方から「よかったよ~」と声をかけてもらったのと対照的でした。そもそも、間違えたことに気づかなかった人が多かった。
今回は、あくまで絶滅種に捧げる演奏。人間がいいの悪いの言うものではない。それがモシリの皆さんの共通認識なんだなと感じました。あとでこのことをアト゜イに話したら、「当たり前だ~」と一笑に付されました。
そして、会食も終わり、私を見つけたアト゜イは一言。
「お前、間違えたな。」
やっぱり、プロは気になりますよね🤣
アト゜イが作った詩。小さくなって、頭を下げるしかありませんでした。
人生には間違いがある。だからそのまま続ければよかったんだ。
翌々日、アト゜イが発電機をクレーン車で返却しに行くというので、お供をしました。道中の車の中、いろいろな話をしました。
件の舞台上での出来事を話すと、あっけなく「そのまま続ければよかったんだ」と。
えっ?確か、間違ったらやり直せばいいと聞いていたような🤔
「人生に間違いはあるだろ。だから、そのまま続けてよかったんだ。」
なるほど。
「いや~、間違えたことのないところで間違えたんですよ。だから、びっくり。」
「まあ、カムイもいたずらすることがあるからなあ。」
アト゜イはやさしい。
私は緊張していただけだったんですけどね。
「来年は来るのか?」と聞かれ、「お邪魔します。」
「じゃあ、来年も語れ。」
というわけで、島根に戻ってからも毎日、練習に励みました。
1年目はアト゜イの付き人(伝令係)、 2年目は『なめとこ山の熊』の奉納朗読、 3年目はアイヌ詩曲舞踊団モシリのレクイエムの語り、 翌年は、語りのリベンジとともに、パネリストとして舞台に登るはずでした。
しかし、私が次に開けることになった扉は、まったく予想もしないものでした。


コメント